システム開発においては、QCD Quality(品質)、Cost(コスト)、Delivery(納期)のバランスが求められると言われている。
この3つのうち、私はDelivery(納期)を重視したい。
なぜなら、時間を区切ることで、人は仕事に工夫を取り入れようとするからだ。
制約があることで、逆に頭が働き始める。時間が無限にあるなら、調べるだけで終わってしまう。
私はエンジニアとして、これまで「丁寧さ」を大事にしてきた。
ここでいう丁寧さとは、人から突っ込まれそうな点をすべて洗い出し、設計の根拠や技術選定の妥当性、実現可能性について納得がいくまで調べた上で取り組むという意味である。
ただし、今日はその丁寧さがあだとなった。
納得するまで調べていたら、想定以上に時間がかかってしまい、「このままでは間に合わないのでは」という不安が頭を支配した。
焦りと自己否定感に襲われて、仕事にエネルギーを使いすぎた。
仕事の納期で頭がもやもやしすぎて、おーんってなる感じ。
現在、私はある二次受けの現場に配属されており、今日は一次受けが設計したものをコーディングした。
どうしても、この業務がどうにも好きになれない。
なぜなら、全体像が見えないからだ。
自分が関わる以上は、目的に照らして最適なアプローチかどうかを判断し、意見を持って取り組みたい。だが、見えない以上、細部ばかりが気になり、余計に丁寧にやろうとして時間を使ってしまう。
品質を最優先したことで、自分の性質が出すぎてしまったのだ。
仮に時間が区切られている(余計な残業はしない)と、しっかり認識していたなら、作業目的に対するアプローチは割り切っていただろう。それである程度の質でコーディングを終わらせていたはずだ。
そもそも構造的に、検討に加わらないとどうしようもない部分もあるだろう。
自分個人の問題というより構造的な問題なのだ。だったら、もっと時間を使うべき作業はあるはずだと頭を切り替えられる。
いずれにしても時間を区切ることが、工夫を促す。そして私の場合は仕事で余計にエネルギーを消耗することにもつながるのだ。
内省的にするのであれば、そもそも私が品質にこだわったのは自己防衛のためである。
人から自分の成果物につっこまられるのがこわかった。だから、突っ込まれないように調査と論理武装していたのかもしれない。
ある意味人の目を気にしていた。が、時間を意識しすると、時間に支配され、人の目が気にならなくなってきていい塩梅で仕事ができるのではないか?
学校や職場に遅刻しそうになると若干身なりがいまいちでも、出発するように。
コメントを残す