仕事終わり。
ふと、モスバーガにいった。
テレワーク勤務終了。
モニターずっとみてたので、スマホをおいて家を出る。
そうするとリラックスした感あるし、いいアイデアひらめいたりするんだよね。
さて、最近私は美術史を学んでいる。
タイトルではかっこよくアートなんて呼び方をしたわけではあるが。
(結構抽象的な言葉だけれど、いったん、ここは素通りさせてください。)
美術史を学んでいるのは知識を得るのが好きだから。
知識を得て新しいことを知り、自分の頭の中で世界観を構築するのが好きである。
別にアートにすごい感銘を受けたからとか、絵を見ると心が動くんです、というタイプではない。
むしろ、びくっと心が動いたら、それはいい方である。
だから、正直なところ、知識を得る対象はアートである理由はなかった。
しかし、学びたいジャンルを選ぶ際の1つだけこだわりがあった。
どんな知識が得たいかというと、お金を稼ぐうえで役に立たなさそうな知識だったら、よりいいと感じたのだ。
たまたま、機会があって手に取った本の「ボードゲームで社会が変わる 遊戯するケアへ」で、いいこと書いてあったので紹介。
遊びが持っている最大の力は、「目的は?」という問いをいったん無効にしてくれることなんですね。
文脈としては、ボードゲームは心のケアにつながるかみたいな実用性の話であった。
自分の感覚としてはこれに近いかも。
役に立ちそうな知識、例えば、簿記、FP、あとは仕事の資格などそういうものを選んでしまうと何か役に立てようという目的が頭にちらつき
純粋に知識を得るのを楽しめなくなりそうと直観的に感じたのかもしれない。
とはいえ、アートに関しては、ポジティブにとらえている。
昔美術館に行き、絵を見たときに、なんとなく自由な世界だなと思ったのだ。
就活とかで言語化することが正義とされる価値観にあてられた反動で、そう感じたのだと分析している。
また、作品も見てて面白いものがある。
そして、芸術家自身の生き方に触れるのも面白い。
好奇心がありすぎて学術的にいろんな分野にまたがっている人
外交官してた人
売れすぎて工房作った人
技術を言語化して大量生産できる体制を作っていた人
自分の耳を切った人
「十三歳からのアート思考」にも記載あったように
いろんな「根」を張り巡らせて生き続けていただけなのかもしれない、彼らの中にどんな根があるのだろうかと時々思いをはせたりもする。
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